Javaは堅実さを目指した? Pythonは楽しさを目指した?

追記:
この意見は個人的に感じたことを書いただけで、
言語設計者がそう言っている訳ではありません。
ご了承ください。


マウスとトラックボールの件で考えていて、
やっぱり、Javaは堅実さを目指したし、
Pythonは楽しさを目指したんだなと思った。
あくまでも構文的なレベルで。

Javaは優等生的にCの系譜を外れることはなかったし、
引かれてきた軌跡の中の延長として「自分が正しい」と考えた方向を目指した。
それはきっと堅実さであり、
CやC++に慣れた人間たちが眼にしても違和感や驚きを感じないあの構文であったろうと思う。

それは端的に言ってしまえば面白くも何ともない道のりだということだ。*1

対して、PythonRubyは「実用性」と共に「書いていて楽しい」事を目指した事は想像に難くない。
故にCやC++Javaに慣れた人間が見たときにある程度の驚きを持つ構文をしているし、
その構文の妙には「楽しさ」が見え隠れしていると考える。
「書くことが楽しい」事を想像して創られたのではないか? と嫌でも思えてくる。


PythonRubyを書いていて楽しいと感じられるのはそういうこと*2ではないだろうか?

や、別にJavaを書いていて楽しくない、と言っているのではない。
ただ、これは誤解を恐れずに言うが、
Javaの楽しさは「Java構文」の楽しさ「ではない」のではないだろうか?
Javaで何かをつくる事は楽しい。Javaで何かのフレームワークを触ることは楽しい。
例えばSwingに触れるのは楽しい。
それはJavaが楽しいのではなく、Javaで創られたものが楽しい、のだろう。

対して、PythonRubyは言語自身に楽しさを持つ。
故にPythonRubyは楽しい言語、と呼ぶのに相応しいと僕は考える。
JavaはToyにはなれないが、PythonRubyはToyになれる。

*1:リフレクションという魔性の顔を持つとしても表面は優等生だ

*2:作者の思索?