Java脳の恐怖とC++

Javaは良い言語であった。*1


登場時のJava
WORA(Write once, run anywhere)を体現しWeb向け言語としてもプログラマ達に夢を見せた。
今見てしまえば冗長で可読性の低いC系構文に
糞のようなクラス構文とゲロのようなインターフェイス構文であるが
それでも当時はセンセーショナルだった。


しかし、その後、Javaには悲劇が起きる。
あまりにもセンセーショナルなデビューのおかげで
それを金に換えようとしている奴らに目を付けられてしまった。


人月計算とExcelとスーツで出来ている奴らだ。


奴らは、
Javaをいかに簡単であるか宣伝し、
役に立たない講習会で金を取り、
再帰やポインタが何なのかすらわからない人間を大量に生み出した。


そうやって生み出されたJava脳人間は
「動くコードが正義」の負の面を体現し
スパゲティを更に絡ませたclassとinterfaceを書き
解読不能なmethodを書いた。
勉強など一切せず、
仕事に関係のないコードは一切書かず、
仕事を効率化させるためのコードすら1行も書かず、
Javaオブジェクト指向は素晴らしいと思いこんだ。


そういう人間を使いやすくするために
コードを書かずに仕様書という名の
地獄の怪文書を大量に生成し、
一つの機能を追加するのに
役所のような文書手続きと、
爆弾処理班のようなキチガイじみた作業を強制するようになった。


Javaは完全に死んだ。


正確な言い方をすれば
Javaは奴らの手に渡った。
いや、むしろJavaが奴らを作ったのかもしれない。


現在もJavaは標準的なWeb言語であり、
エンタープライズの代名詞だ。


だが、そこには既にプログラマは存在せず、
Java脳な人間だけが金を発生させて喜んでいる。


そんなJava脳の洗脳を解こうと、
何年も努力している男がいた。


Bjarne Stroustrupだ。


もちろんC++自身も良い言語だ。
言語だけでなく使っている人間も愛と憎しみがあふれている。
Bjarne Stroustrupの穏やかな独裁者ぶりには侠気を憶えるし
書いていて苦楽を共にする言語として
プログラマを信じ裏切り、幸せにも不幸にも不安にもさせてくれる。
配列はインデクスをオーバーしてアクセスしてメモリ破壊をしても沈黙し、
不正なポインタ経由でメンバ関数を呼び出そうとも動き、
よくわからないメンバ関数を呼び出し、
オブジェクトがスライスで砕け散ろうとも動き続ける。
どうしても駄目なときはダンプを吐いてハングアップ!


いつでもプログラマが脚を打ち抜く事の危険性を説いてくれる。
脚が無くなることの恐怖を教えてくれる。
C++! C++!
C++! C++!


ちょっとでもミスをすると未定義の動作をするC++!
プログラマのうっかりを赦さないC++!
オブジェクト指向の大切さを思い出させてくれるC++!
動的なポリモルフィズムを仮想関数で、
静的なポリモルフィズムをテンプレートで可能にするC++!


よろしい、ならばC++だ。
Javaを打ち砕くC++0xはもう目の前だ。

「重要なことで三ヶ月で学べるものはとても少ない。君は基礎がしっかりした
分野で経験を積むことを考えた方がいいのではないか?」

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50629063.html

C++! C++!
C++! C++!

元ネタ
別に意味はない。

*1:当エントリはネタであり実在の言語とは一切関係がありません