パタヘネ読んでない奴はプログラマじゃない

とかいう煽りを書いてみるテスト。
別件ですが、コードDISとかstfuawscとかstfuacmuとかくだんねー。(暴言
ていうか、そういう事に縛られずに自由に生きましょうよ。
と傍観者が適当な事をいってこそこそと反感を買ってみる。(凄い別件ですみません。界隈はどう思っているのかなー。

なわけですが、うーむJで始まるハンドルのあの人も読めって書いてたしなあ。 でも600Pオーバーでかつ英語の本というのはちときつい。 ガウディ本もまだ序盤だし。

404 Not Found

実はきむら(K)さんはどうやって本を読む時間をとっているのか不思議に思うのでした。
すげー、といつも思います。
きむら(K)さんがRSSを吐いてくださらないので
目覚めにgoogleに「ときどきの」とか打ち込むようになった人間より。:-p

そんなに面倒かなあ?

ブクマコメントより。

問題はないけど、インターフェイスの変更時にインターフェイスクラスと実装クラスの両方を変更しなくちゃいけないのが面倒でした

うー、
C/C++界隈では「面倒だから」という理由で#define Hoge::getInstance() HOGE なんてしてしまう人がいるけど、
これはそういう論理に近いと思うにゃあ。
タイピングとか、その場その場の変更による記述コストよりも、
設計上における変更の影響に対するコストの方が重いのではないかなあ、
と考え始めている。
得に考えもなく記述だけすれば変更可能なものに関して「面倒」というのは、
なんとなく「怠慢」的な違和感を感じずにはいられないのでした。

考えずに書けるコードなんて、
変更が一番楽だと思うんだけどなあ。(個人的にはね)
(影響度なんかを考えて頭を使って変更しなければならない方が面倒くさいんじゃないかしら、
 あと可読性を損ねるのはどうかしら、という疑問。Singletonの話に限らず)
そうでもないのかなあ。