アセンブラが一番早いなんて
以前の会社でこういう話をされた事があった。家庭用ハードウェアや携帯用ハードウェアのソフトウェアを構築する会社で、プログラマのトップに立つべき人間の言葉だ。
その時強く感じたのが「そうだろうか」という疑問だった。それは職人的な意味合いを含んだ言葉なのだろうと想像はできる。それは昔はCやC++なんて使えなかったのだし、アセンブラが当たり前だったのだから。
自分も開発に携わって初めてアセンブラを触って感じた事はそれは限りなく「シンプルで強い」ということ。これは嘘ではないと思う。元々CPUやメモリに限りがあった端末を動かすにはアセンブラの力が不可欠であったし、そうしたアセンブラを創意工夫をこらしテクニカルに用いるのは当然だった。デバイスに対するIOだって、ビット操作による力業ばかりだったのだから。
けれども、今はハードウェアもソフトウェアも進化して様々な支援を受けられるようになっている。そうした中でアセンブラに固執しなければならない理由は最早ない。(局所的に用いる事はあるかもしれないが。)
それよりは開発者の歩く道としてアセンブラから緩やかにCにシフトしC++が取り入れられている流れを見据えて対応していくべきだろう。実際、制限されながらもJavaも選択肢に取り入れられはじめてきた。そこでアセンブラがどうだこうだ、という事はナンセンスな事に感じられて仕方がない。
元々、工程というものを管理したり設計を行わなかったりと個人気質の会社だから先頭に立って歩くべき人間がそうした事を言ってしまうのだろう。
そこで、二年前にGoF本を手に持ってデザインパターンを用いようとしていた人の事を思い出した。その頃は業界はCが主流であったからそれらを適切な方法で用いる事は難しかった。
たった一人がパターンがどうだのと盛り上げようとしただけで排斥されるのが当然の理だ。
その人は会社を辞めて会社を立ち上げた。自分の理想を押し通そうとすれば自分の城を築くのが思考の帰結だったのだろう。
自分はまだまだ勉強しなければならない、そんな事を感じている。どうすべきかもまだまだ定まらないのだから。