人間はやりたくないことはやりたくない生き物

 ……とか、当たり前の事を書いてみますが「やりたくない事をやらないといけないときは確かに精神に大きく負荷」がかかります。
 でも、やらないと拙いとはわかってる。でも、やりたくない。
 そういう葛藤が募り募って「無言(見ないふり)」とか「口だけ(やりすごし)」とか「やったけど無理でした(無理だったら無理でした)」「忘れてました(嘘だけど)」とかになってしまうのかな、とも思います。
 確かにやりたくない事をやらずに過ごしていけたら幸せだよなと思います。
 自分のモットーは「出来るだけ楽をするために努力してみる」です。
 でも、その「楽」は「やりたくない事をやらない」ではないんだ、と考えます。
 どんなにやりたくない事でもやらなければならない事がある。それは単純作業だったり、テストだったり、スケジューリングだったり、進捗報告だったり、経費精算だったり、他人との認識の摺り合わせだったり、望まないコミュニケーションだったり、他にも色々とあって人によっても違うはずですがこれらの事を「何もせずに」生きていく事はできないです。これらは寧ろ瞬発的にはやりたくないけど、やらないと他の事や人、諸々に影響がでてしまう事でやらざるを得ない事です。
 だいたいの「やりたくない事」は他人と関係しているからです。(自分の中で完結することをやりたがらない人は少ない)
 
 何を言いたいかと言えば「やりたくない事をやるときにやろうという意志をもてるようにならなければ」ということ。
 目をそらしたり、手をつけずに置いておくことで無くなったり、他人が諦めるのを期待することをしてはいけないということ。
 本当にやりたくなければ努力してやらなくても良い立場、場所を見つけようということ。