名前だけで魂はそこにはないよな

 某ゲームの某ディレクタがやめて「あーあ、終わったな」という記事を見たけれども、
 組織は何を考えているんだろう?

 開発者がやめても商品は失われないけれど、幾人かの落胆の呻きを読んで
 もう魂は「そこ」にはないよなぁ、と改めて思った。

 商品(ゲームに限らずサービスや技術含め)は組織のものであって個人のものではないから、
 そのせっかくの資産を個人が流用することはできないし、
 組織が流用しようとしてももう魂はない。
 それは「その商品は死んだ、もう蘇らない」ってことなんだろうと思う。
 もったいない、顧客にとっても組織にとっても開発者にとっても踏んだり蹴ったりだ。

 じゃ、どうして会社は魂を保護しないのだろうなぁ、と思ってしまう。
 抜け殻になったものは価値を大きく損ねる訳で、
 開発者=商品価値では決してないけれど、
 
 メガマックから肉を抜けば何が残るのかは明らかだろうに。

 代わりに挟むもんなんて、いくらでもあるっしょ、くらいに企業は考えていないかな。
 人ほど代替が難しいものはないのにね。
 
 組織はもっと頑張って個人を保護して、個人はもっと頑張って何かを生み出していけば幸せになれるだろうに。
 
 とはいえ、どんな好条件を提示しても個人が組織自体に魅力を感じてなければ意味がないのだけれど。
 と、つらつらと考える。
 
 結論「組織、もっとがんばれ」。