優秀な技術者は育てるのではない、育つのだ

NTTデータの社長が熱いことを字面の上では言っているが、僕はプログラマは育てるものじゃなく育つものなんだろうな、と思った。
何を言いたいかというと、プログラマの待遇をどれだけ高くしても、もしくは低くしても、優れた技術者は勝手に育っていくという事だ。


勿論、金銭が無ければ開発環境を整えたり、技術書、専門書を買う余裕もなく成長を阻害してしまうし、
個人の時間を与えず馬車馬のように酷使すれば勉強をする時間や、
好きなものをいじる時間すら奪い成長を阻害するが、
……が、そうした待遇にもめげず育つプログラマは勝手に育つ。
プログラマになるべくしてなる。

逆にいえば、そうした環境をいかに整えようと、育たないプログラマは育たない。

優秀なプログラマをどう評価するのか、優秀なプログラマに払う高い金をどこから出すのか、優秀なプログラマをどう育てるのか、問題は山積みです。
何より優秀なプログラマがほとんど市場におりません。

プログラマのやる気を上げよ | スラッシュドット・ジャパン

いや、育てるのは無理。
じゃ、選民(少数精鋭)?

でも、だいたいにして「優れたプログラマ」とは何だろう?
何をしたら優れていると見なされるのか?
技術力をどう推し量るのか?
その優秀はどんなcontextに置かれても優秀であるのか?
経験は常に有効であるのか?

身近に眼を向けてさえ「何が優れているのか」「どう優れているのか」を定義することは難しいし、
優れている人間だけが寄り集まったプロジェクトが成功するかどうかは必ずしも保証されないことは自明の筈だ。
プロジェクトの問題は「優れたプログラマが必要数いない」という曖昧な事に終始しない。

だとしたらどうしたらいいのか、
答えを提示することはできないのですが、
こうした状況下において、「優れた」という言葉の意味を定義し、
本来は生粋の職人である筈のプログラマを育てる(=職人に仕立てよう)だなんてなんだか烏滸がましいことであると思うのですよ。

資質は与えられない。
嗜好も与えられない。
本来プログラマはそこにプログラマとしてあることしかできない。

優れたも、劣ったもない。
世界には単に「プログラマ」と「それ以外」がいるだけでそれは見分けることでも、推し量ることでも、評価することでもない気がする。

そろそろ30を目前にして、
齢40にしてもプログラマでいたいと思った自分はこんな考えです。


管理者には死んでもなりたくないのかもとも思った人間の戯れ言です。