JavaからRubyへ、Rubyから……なんだろ?
読了。
- 作者: Bruce A. Tate,角谷信太郎
- 出版社/メーカー: オライリー・ジャパン
- 発売日: 2007/04/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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後半は橋、普及、リスク。
橋は他言語や技術との架け橋のこと。
連携度合いのお話。
普及はいかにしてRubyを(組織やプロジェクトに)普及させるか、ということ。
そもそも使える人がいないのに叫んでも仕方がないし。
リスクはRubyの抱えるリスク。
新しい言語だし、先細りするんじゃないの? とか色々。
僕が着目したのは、
Rubyを使える技術者(Ruby要員)を増やすために、
他言語からのコンバートも推奨されていて、
Smalltalk、Lisp、Python、Perl、Java、C#、C++などからが推奨されているが、
やっぱりこうした人員の確保というのは未だ難しく、
普及の妨げと共にリスクともなり得るのだろうな、と思った。
まぁ、簡単にコンバートできるような技術者がいるんなら「無理にRubyを使うこともない」と言えてしまうんだけど。
この本の主体は「いかにRubyは素晴らしいか」という宗教臭がプンプンするぜ、
という感じなのだが、(穿ち過ぎかもしれないが)
Rubyは確かに有用な道具であることは分かるので、
ここまで持ち上げるのも不思議ではない。
ただし、
それを体現できる技術者がいなければ仕様もない訳だ。
いかに強力無比な道具、武器があろうとそれを使いこなすのは人間で、
その人間をいかに揃えるか、育てるか、維持し続けるかはRubyにゃ関係ない。
(使いやすい道具か、
道具の使い方に幅はあるか、
愛することができる道具か、と
いうことには関係がある)
そうした意味では、
この本通りにやったら(他のことが足りなくて)こけたぜ、っていうこともあるだろうけれど、
題名の通り、
に捧げる本なのかも。
RubyとRailsに傾倒しすぎで少々気持ち悪いのだが。
きもいとか書くと叩かれそうなので書かないけど、正直きもい。
追記:良い意味で愛があります。傾倒しすぎはよくないけども。*1
*1:翻訳はとても読みやすいと思いました