自分の意志を反映させたいという人はゲームも良いかも

と、少し前までJavaでサービス系に近い「下請け」の仕事をしていたわけですが、
政治的な理由によ「ここはなー」みたいなことを思っても何ともならずにやきもきすることがありました。

もちろん、僕の意見ごときが万事において正しいなどという気はありません。
でも、気になることがそのまま放置っていうのはやる気が削がれるんですよね、盛大に。
何故かって、それを検討する機会さえ無いわけですから。


そういう意味ではゲームというのは最初は仕様がなく、
仕様をつくっていくという仕事があるために、
自分の意見を反映させやすいという利点があるなと思います。


結構、こういうの良いと思ったんでいれてみたんですけどー、
こっちのほうがいいと思うんですけどー、
みたいなことが採用されてそのまま製品版にのっちゃうってことはよく見かけますし、
業界的に「こういう方が良くない?」という意見が通りやすいと思います。


また、デザイナとの意思疎通も図りやすいので、
余裕があれば「素材をこういう風にしてくれたらいいなあ」なんて要望を通しやすかったりもします。


そういう意味でゲームの世界というのは自分の意志を反映させやすい、
という下地があります。


もちろん、それが見た目にでるかどうかは別問題なんですけどね。
細々とした操作、キーアサイン、眼にもとまらないような細かな仕様、
そういうところに拘りが反映されていく過程がある、というだけの話です。
何百万ポリゴンが動いてぐわー、というような快感を得たい、という人はまた違う道を選ぶべきかもしれません。
そんなことばかりをしている訳じゃないんですよ、結局。


ただ、ゲームをつくりたいと思っている人は、
個人でやるよりも、会社にはいって頑張った方が、
絶対楽しいのにな、なんて思ってしまうんですよね。
勿体ない、勿体ない。
個人でできることなんてたかがしれてる訳で。


ゲームをするのが好きである必要はなくて、
つくるのが好きだって全然構わないんですから。
やるより作る方が面白いって、みんな言うと思います。
一人で作っていたら分からない魅力もありますよ。