変わらなきゃ少しずつでも

mnagakuさん wrote:
ゲーム産業が、現在の社会状況によって存在するスキマを埋めるものであれば、社会状況の変化で「滅ぶ」でしょう。それが何年先かは分かりませんが。この場合、産業内部で変化があったからといって、社会状況の変化を押し止めることは難しいでしょう。

個人的には、ゲーム産業は、現在の社会状況によって存在するスキマを埋めるものではないと考えています。人間(だけでなく、ある程度の知性を持った生物)にとって「遊び」は本質的な活動です。ゲームが「遊び」から離れなければ、多少形を変えたとしても、ゲーム産業は存続し得ると思います。

 この考えには強く共感を覚えました。
 「遊び」は本質的なものであるというところで、僕は同じような「ゲーム」でも滅びないものがあるということに注視したく思っています。
 例えば「将棋」「チェス」「囲碁」なんてものですが、(mnagakuさんの言葉を借りるならば)これらが浸透しているのは単に「スキマを埋めるものではないから」だと思っています。
 これらは競技として制定され、ある種の地位と環境、加えて競技人口を確立したからこそ、こうして長年遊ばれているものであると考えることができます。そして、それはチェスや将棋、囲碁を愛している人たちがいて、その人たちが地位を確立したからだとも思います。
 「Magic: The Gathering」などもそれに近い形かもしれません。基本のルーリングをそのままに細部では改善をしつつ転換期を設け常にスタンダードとエキスパンションのサイクルをうまく回しています。一つの商業形態として確率していると言っても過言ではありません。これも好きな人たちの努力がありますね。例えばトップ・プレイヤーが開発会社の社員になって、また新しい試みを提供していくわけですから。

 では、テレビゲーム(としておきます一応)には何らかの地位があるのか、形態があるのか、と言えば……あまりないのが現状ではないでしょうか。
 今まで漫然と「作って売る」だけを繰り返してきたゲームが他の遊びに対しての「優位性」を持たなければ存続すら危うい、それはとても納得の意見です。

 自分はゲームって、昔から本質的には何にも変化していないんだなぁ、と思っています。
 「面白さ」というものが(当然ではあるのですが)曖昧なままで、対象に向けてどう遊ばせようだとか、どう売っていこうだとか、そういうことが何もありません。
 いや、実際には何もなかった訳ではなくて実験的な試みは行われてきたと思っています。以前「ファミ通」にDCのディスクが「後からお金を支払えば製品版になる体験版」の形でついてきたときや、週間や月刊の形で連載のようにゲームを出していこうとした時には「なるほどな」と思ったりしました。新たな試みはないわけではないと思います。
 ただ、その明確なターゲット層がなくて、空振りしてしまっただけで。で、後続も怖じ気づいてしまっただけで。

mnagakuさん wrote:
だとしても、存続する可能性があるというだけの話で、「遊び」を扱う他の産業に取って代わられることは十分ありえます。日本のゲーム産業が、他国のゲーム産業に取って代わられることも十分ありえます。日本のゲーム開発者が、他国のゲームゲーム開発者に取って代わられることも十分ありえます。

取って代わられたくなければ、優位を保つために、必要な手を打たなければなりません。しかし、日本のゲーム産業、個々の開発者の多くは、それに気付いていません。だからこそ「変わらなきゃ」なのです。素人が自己満足でゲームを作りたいだけなら、全体としての「変わらなきゃ」は必要ありません。

 開発者の多くはあまり「売ること」や「ゲームの地位を確立すること」には関心がなくて、ただただ漠然と「ゲーム(を遊ぶの)が好き」だから作っているという時代が長く続いているのかもしれないと感じます。あとは「自分の好きなゲームを創るのが好き」だとか。
 そういうことが「作ってもいない人間が雑誌上やWeb上でご高説を述べる」状況をつくり「作った人間は何も考えられない」という状況を創ったのかもしれません。
 「好きだから創る」では何も解決しないんですよね。それはただただ考えのない学生サークルのような集団でしかありません。

mnagakuさん wrote:
ただ、これは、結構、急を要する話です。日本のゲーム産業の優位性が殆ど失われてしまったからです。「茹で蛙」寸前なのです。今「変わらなきゃ」して鍋から飛び出さないと。いや、もしかしたら、もう手遅れかも。で「日本のゲーム産業、滅ぶかも知んないけど」なのです。「w」は自虐ですw

「ゲームに高度な技術は不要」とか言って、キャリア3年目あたりから思考停止してる人々や、「ゲームを遊ぶのが好き」と「ゲームを創るのが好き」が区別できない人々が、安心して(安いけど)祿を喰んでる状況が、この世知辛いご時世に、いつまでもつでしょうか?

 そうした現状を踏まえて思うに、mnagakuさん達が行われている活動には大変意味があるものだと感じています。
 目の前のものだけを片づけるとか、好きだから続ける、というのではなくて「好きなものであるならそのためにどうしていかなければならないのか」などと考えて変わっていかなければならないんですよね。どこの業界も同じかもしれませんけれども。