昔のmixiに期待していたこと
Webを見て回っていると、idすら示さずに炎上しているところへ突撃して油を注いだり、やりあったりしている人を見かけることがある。
要するにそれは安全なところから紛争地域に火炎瓶を投げ込む行為なわけで、自ずと無責任さが伴うことになる。「通りすがりだから」「適当なidだから」言動には重みがない。
勢いで参加して、飽きたり分が悪くなれば適当に消え去る。そして、おれ、関係ないもんね、というしたり顔。そういうのはウンザリだ。
これは人間の持つ醜悪性の発露に相違ない訳で、見ていて辟易する。
たぶん自分が以前にmixiで期待していて、今でも望んでいるのは、
完全なる「1人1id制」
なんだなということ。
現状のmixiは簡単にidを増殖させられるからこうした重みはない。*1
……が、何らかの手段で1人は必ず1idしかもてず、誰がどうした発言をしたかということが明らかになれば自ずと重みがでる。*2
発言をすることに相応の責任とリスクを持たせれば、実際に書き込む前にそれなりに「考える」ことをせざるを得ない。idに重みがあれば、軽はずみな言動は行えない。
そうした意味で、Web上で、とは言わなくてもそのサービス上で絶対的な「1人1id制」というのを確立して議論(じゃなくてゲームでもコミュニケーションでも何でもOK)できないものかなぁと考えたりもする。
ヤフオクにおける評価が付随したidというのも一種の重みなんだけど、あれでも詐欺を防げないのは地道に評価を積み立てておいていきなり詐欺師に変貌する事を防ぐ手段がないからだ。
「idはいくらでもとれる」を「絶対に一つしかとれない」仕組みに変えられないものかなぁ、と考えたりする。
まぁ、現実世界でさえ戸籍を売り買いするくらいなので生半可な方法では無理なんだけど。