チーム製作された作品を本当の意味で作ったのは誰なのか問題
もう仕事でゲーム開発してないわけですがサービスでも同じような事がいえるかなぁと思って少し考えてみました。
多分、端的に結論を言うと「お金を出した人のもの」だと思う。
だから、お金を出した人(=権利を有する人)はそれ(作品)をどうにかしてもかまわない。
壊しても踏んづけても亡き者にしてもかまわない。お金を出した時点でそういう契約をしているだろうから。
でも、ここで「本当の意味で」となると疑念があります。
お金を置いておくと作品がはえてくる訳ではないので、ここでいう「本当の意味」は「なぜその作品ができたのか?」ということです。
じゃ、誰のおかげか?
クライアント?
プロデューサー?
ディレクター?
プログラマ?
デザイナ?
これは経験談に根ざして言っちゃえば「みんな」だなと思います。
開発をしている中で何かしら意見がでてそれが取りまとめられてゲームになっていくわけで、
取捨選択の権限は何れかにあるわけだけれども、できあがる作品はチームおよび、顧客の意見の混合物になるのが当然のことです。
そういうとき、やっぱりそれはハンバーガーやピザ、サンドイッチのように混合であることが意味をなすと思います。
組み合わせの比率、妙が味の秘訣だったりしますよね。
だから、バーガーから肉を抜くかー、とか、ピザからチーズを抜くかー、とか言い出すと途端に別物になってしまう、と。
これは組織(の持つ権利)も当然で、全く材料も構成も「ビッグマック」だったとしても「モスバーガー」でそれと同じものを出そうとした場合「ビッグマック」とは名乗れないのですよね。(ビッグモス?)
凄く当たり前の話をしているかもしれないけれど、結局は(個人も組織も)「みんな」で作っていることを忘れるとお話にならない、ということなんだろうと思います。
どんなに有能でもディレクタ一人では何もつくれないし、作る技能を持ったチームがあってもお金がなければつくれない。
お互いがお互いを大事にするしかないんだろうな、とか思うのです。
で、本当の意味で誰のものか? それはみんなのものです。(と僕は思います)