個人の究極の目的とは何か?
- 作者: エリヤフ・ゴールドラット,三本木亮
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2001/05/18
- メディア: ペーパーバック
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今更「ザ・ゴール」ですか、そうですか。
という感じですが、2001年にその存在を知りつつも今週ようやく読みました。
業務改善プロセスのお話、というか小説仕立てで「閉鎖予定の工場」を舞台に、所長が主人公で、どこにボトルネックがあり、それをどう処理すべきか、思考の道筋から、解決への試行錯誤を行い、成功を収めるまでのお話ですね。
小説としてはとても面白いものだと思います。
効率化、といった言葉面に騙されず本当はどうすべきなのか、といった口だけではない「業務改善」が焦点というのもまさに○。
ただ、TOC(制約条件の理論)の目指すものは要するに企業の業績アップ=利益の追求=お金を儲けることなんだけれども、
……本当にそうか?
お金はありゃ良い。あればあるだけ幸せには近づく。
でも、企業がそれを搾取するなら話は別だ。儲けた企業がそれを個人に還元してくれるだなんて、誰が保証した?
人間は自由に転職を選択できるし、企業に隷属し企業を改善することにすべてを注力するのは間違いだと僕は思う。
結果として企業の業績を伸ばす事に寄与する(ことになる)個人を含めた人間、職場の改善が必要だと思っている。
そうでないと、企業にしがみつくことしか選択できなくなってしまう。
お金を与えられて、地位を与えられて、飼い慣らされるなんてのはまっぴらごめんだ。
そういう意味で、自分自身において真の意味での改善とは常に個人の改善を指す。
技術、交渉力、コミュニケーション、責任感、計画性、協調性、バランス感覚、……個人を構成する要素は無数に存在し、
そのどれもが伸びる可能性を持っている。
今のままの自分で良いと思った瞬間にそれらは成長を止めてしまうだけで。
そうした前提にたったとき、個人は企業を儲けさせるために一生懸命になるべきではない、と思う。
僕たち個人(+職場の仲間)は権限や責任を勝ち取るために何かをすべきであって、金鉱を掘り起こすための土方になるべきではない。
金鉱を掘り当てなければ権限や責任を勝ち取れないというのであれば、そうでない場所を探せばよい。
要するに単に「企業の存続のため」に働く意味はない。
常に「顧客の事を考え良いものを求める」のは自分たちエンジニアとしての成長に繋がっていて、その副産物として所属する組織も成長する(Win-Win?)、ということなんだろう、と僕は考えているから。