勉強をしたいと思っていない人に無理に勉強をさせる必要はないと僕は思うのだけれど

 と、何となく勉強のお話。
 技術職というのは日々勉強です、といいながらも全員が全員勉強に勤しんでいる訳ではなくて、千差万別だと思います。
 そうした中で、勉強をしたい、と考えていない人を無理に勉強させる必要があるのだろうか、と考えてみました。

 実際、勉強をして技術なり何なりを伸ばそうと考えている人もいれば、単に趣味が高じてそれが結果として技術の向上に貢献している人もいたり、
 はたまた、仕事とは全く関係のない技術だけれど好きだからやっています、という人がいたり、
 別に勉強しようとは思っていませんよ、なんて人もいたりすると思います。

 これは別に自由なので、勉強をしていないからといって無理に勉強させようとすることが意味をなすとは僕は考えていません。
 自分も技術書を読むことが苦痛であることもあるし、その時間がとれないこともあるし、実際に技術書を読んだからそれが身についたか、といわれればそうでないこともあるでしょう。

 言ってしまうのならば、結果を出せるかどうかがすべてであり、実際に勉強をしているかどうかはポーズではないか、とも思います。
 自分は勉強をするのは一種の劣等感、焦燥感によるものが多いですし、利己的な面が見え隠れするところを否定できません。
 実際、それは己が矮小な存在であることを認識しているからに他ならず、そうした認識をしていない人は無理に勉強をする必要はないのじゃないか、と考え始めています。

 何が言いたいかひどく曖昧ではあるのですが、自分の人生なのだから楽しく生きる権利が皆にあります。
 だから、勉強をしなければならない、という強迫観念に駆られただ目的を違え勉強をしないと、となるよりも、勉強をせずとも仕事をこなすことができ、
 日々を順風満帆に過ごせる方がよほど幸せではないだろうか、ともいえます。
 興味のないことを強いられる人生なんてつまらないですよね。

 これは物差しの違いなので、どんな場合にも正しい訳ではないです。

 ただ、勉強をする、しない、ということはそれ自体、己が正しいと思いしていることに他ならないのだから、それはそれで良いのだと考えているということです。
 そんなことを最近は考えています。

 # 自分自身はまだJavaの世界にもWebの世界にも慣れきっていないので、勉強必須なんですけど……ね。