片眼の猿

昔、九百九十九匹の猿の国があった。
その国の猿たちは、すべて片眼だった。
顔に、左眼だけしかなかったのだ。
ところがある日その国に、たった一匹だけ、両眼の猿が産まれた。
その猿は、国中の仲間にあざけられ、笑われた。
思い悩んだ末、とうとうその猿は自分の右眼をつぶし、ほかの猿たちと同化した――。


この逸話が何を意図しているかは慮ることしかできないが、
少なくとも個は多勢に属する事を安寧であり正義とし、
少数を異物として迫害しようとする、ということを示している。


さて、自身がもしその片眼の群れの中にある両眼の猿であるということに気付いてしまったらどうするか。
片眼を潰して、世界と混ざり合うか、
それとも両眼である事が自分であり、そうあろうとするか、
もしくは……両眼の猿の国を探すか。


結局のところ、
人は選ぶ事で自分をどうするかを定めなければならない。
開発や技術においてもこれは一理あり、
どういう国のどういう猿であるのか、は自分で決めなければならない。

そんなことを思うのは個としての自分が持つ自信なさ故なんだろうけれども。

片眼の猿 One‐eyed monkeys

片眼の猿 One‐eyed monkeys